藤井 風さん・・・ 猫が推し活始めました😺

♥️する さすけ のつぶやき

『藤井 風 いざ、世界へ』

実家からの中継と思わせて、実は会場にいたという昨年の紅白出演映像から始まったMusic Special。
サブタイトルは『藤井 風 いざ、世界へ』。

1stアルバムに収められた『死ぬのがいいわ』が、シングルカットされたわけでもないのに、今年タイのTikTokを皮切りに世界に拡散された。そしてSNS上の人気を表すバイラルチャートの23カ国で1位にランクイン、2022年世界で最も聴かれた日本の歌となった。
一体何故か?
タイ、インド、ブラジル、フランス等で取材したリスナー達の声は様々。
「心地がいい。一緒に踊りたくなる。」
「今迄聴いてきたどんな愛の歌よりも並外れたものを感じた。」
「愛のために苦しむ民謡と似ている。」
「読経みたい。」これにはそんな風に聞こえるのかと驚いたなぁ。
「美しい曲で頭にこびりついて離れない。」そんな彼の曲の中毒性に触れた人もおったね。

更に、武道館ライヴ映像にアクセスした人の8割は海外からだったとか。

実際この曲は、わても大好き。
最初聞いた時、滅多に恋の曲を作らん風さんやのに、これは太宰の世界、究極のラブソングやないか!と思った。
昭和歌謡の旋律をも含んだような美しいメロディー、それに載せる言葉は日本的やし、海外の人が理解するのは難しいとも思った。
そやから、内容はよくわからないけれど、曲調に惹かれた人が拡めていったのだろうと考えていた。
しかし、きっかけは別として、殆どの人が最終的には日本語の歌詞の意味を理解しそれに魅了されていたんや。

それは風さんが12歳でYou Tube配信を始めた頃から世界を意識し、MVの字幕やアルバムの歌詞カードに自分で英訳を付け、英語で曲の解説動画をUPしてきたという努力の賜物なんやね。

風さんは世界を目指したい、世界で活躍したいという願いからというより、世界の人々にも自分の歌を歌の意味をきちんと伝えたいという想いからそうしていたのかもしれない。

風さんによれば、この歌も自分の中の理想の自分、ハイヤーセルフに向けての愛の歌なんやて。
へぇ〜そうだったんや、深いなぁと思いつつ、『やば。』も『damn』もそうやし、風さんはデビュー曲から一貫しとるんやなぁと腑に落ちた。

でも作品が作り手のもとから離れた途端、どう解釈しようと受け取る人の自由やし、それは面白いって風さんも言ってたよね。

『grace』のMVを撮るために訪れたインドの映像も流れた。(因みに謎の監督QQさんが何者か判明するかなと期待したのに、声は聞こえど結局わからず仕舞いで残念やった。誰か分かった人おったら教えてや。)

色んな音のする街並みに続き、ガンジス河の夕焼け。と思って見ていたら、何?朝焼け?!って事はあんなに朝早くから、色鮮やかな衣装を身に纏った人々が河の畔に集ってるんや。人々の生き様は活気に溢れ、子供達は真っ直ぐで純粋な瞳を輝かせていた。

実は風さん、おかんのお腹に宿っていた時と無事にこの世に生を受けた2歳の時に家族全員で訪れていたという。
彼の音楽のルーツとも言えるインドでの風さんは生き生きとしていた。心から少年の様に笑っていた。

 

そして、インドの子供達から貰ったエネルギーやピュアな気持ちを、インドで感じたフィーリングを大事にしたい。それをファンに伝えたいと臨んだパナスタでのライヴ。
わても運良く参加出来たんやが、アメリカや香港、インドネシアからも来とったんやね。
あの時会場には、年齢も肌の色も国籍の違いも関係なく、風さんを中心にひとつとなって踊る人々の姿があった。

自分の夢を叶え、言葉や国境の壁を超えて世界の人々に夢を与える風さんはほんま凄いと思う。
風さんにはアーティストに必要な才能も声も容姿も備わっている。
誰からも羨ましがられる存在なのに、
そんな風さんでさえ、上京したての頃は自分と人の違いにばかり目がいって、自分には何も無いと自信を失っていたなんて。

自分と他人の違いを知り、足りないものは何かに気付く事は悪い事ではない。寧ろ飛躍する為の良いチャンスだ。
とはいえ、誰もがいつも前向きに考えられるわけではない。自分は駄目な人間やと落ち込むばかりで、なかなか這い上がれん時もある。

ガンジス河で沐浴するシーンの前に見せたナーバスな表情。
ライヴ前に覗かせた緊張の面持ち。

風さんはとっても繊細で、それだからこそあんなに優しくなれるのかもしれない。

風さんがメディアに余り出ないのは、他のアーティストとは違うんだという印象を与えたいからかなと思った事があった。
でもそれは違ったのかもしれない。

この世界には有名人を褒めてはこき下ろし、褒めてはこき下ろし、飴と鞭をくり返す事で生計を立てている人が一定数おる。
そんな輩から、硝子のような心の持ち主を守る為に、好きな音楽に没頭出来るようにとずっずさんは、極力メディアから遠ざけていたのかもしれんね。

「自分を大切にして愛してあげる。自分は既に凄い存在なんや、自分の中にこんなに恵み(Grace)があるととわしも気付きたいし、みんなにも気付いて欲しい。」と
新曲に込めた想いを語る風さん。
「言葉の壁を超えて喜んで貰えるものを出していきたい。」と抱負を語っていた。

やっぱり風さんは最高や、今迄応援してきて良かった、これからも応援していこうと番組を見届けたその矢先だった。

期せずしてそれは起こった。

風さんがツィートを全削除したのだ。

というか、最近のツィートが削除されてたんで、何やろう?と胸騒ぎしてたんやけど。
やはり、正直ショックやった。
一体何故?

ツィートの止め方は人それぞれ。
止めると宣言して、アカウントを削除する人。
アカウントもそれまでのツィートも残して、人知れず止めていく人。
彼のようにアカウントは残して、全削除する人。
全削除なんて、何事にも執着せず、何も持たずに帰ろうと歌う風さんらしいよ。

止める理由も人それぞれ。

プラスサイズの身体を肯定的にとらえ、自信を持って活動する人物として称賛されながら、その一方では身体的中傷に晒され心無いコメントの数々に、ツィートを一時的に停止したLizzoの事を思い出した。

風さんの場合はどうなんやろ?

わては見てないんやが、削除する前に、彼のプロフィールには、こんな英文があったらしい。
Twitter is not for me. I'm so sorry.」

例えば、離婚する時、色んな出来事が積み重なって決断するように、理由はひとつではないんやろうと思う。
ただ、番組終了後に全削除したということは、番組内での彼の言葉にその理由があるはずだよね。

「人間関係もそうですけど、結果とか目に見えるものにフォーカスしてしまって・・・そこを今一番乗り越えたい。余計な事を考えずに透明みたいな心になりたいと思ってます。」

風さん界隈のTLではカゼタリアンが色んな事をつぶやく。風さん大好きという点は一緒なんやが、その熱量も応援の仕方も十人十色なもんで、時には対立構造が生まれ、人知れず誰かが傷つき、トラブルになることもあった。それに対して風さんは素早く敏感に対応していた。ツィートには字数制限があるせいか、言葉足らずで誤解を生み、その事がまた彼を悩ましてもいたようや。そやから、そんな事に時間を費やさずに、そんな事で悩まずに、もっと好きな音楽制作に力を注いで欲しいと思ってもいた。

人間と動物が地球で共存するには程よい距離が必要だという。変な例えかもしれんけど、アーティストとそのファンがお互いに良い関係でいる為にも程よい距離が必要なんやない?
何事も程々、日本語には “ いい加減 ” って素敵な言葉があるやん。

絶えず彼の発信する情報を追いかけ、彼もまたカゼタリアンの反応を常に気にかけ、本来やるべき事に費やす時間が無くなり、やるべき事がなおざりになったらお互いにとってプラスにならない。
夢中になる余りそうなった、若しくはなりそうなカゼタリアンを見るにつけ、彼の優しさが今回の決断に繋がったということもあるんやないかとわては思う。

風さんは誰をも愛し、傷つけないHEHNなTLにしたかったんやないやろか?
風さんのお題で大喜利大会をしたり、誕生日にお祝いコメントをしたり、楽しい思い出は沢山あるよね。
最初はそんな思い出が消えてしまってショックやったけど、もうみんな大丈夫。
今では本人抜きで大喜利大会しとるし、彼の笑いの精神はしっかりカゼタリアンに根付いとる。

もし、まだ淋しさのあまり何も手につかない人がおるとしたら、犯人探しをしとるような人がおるとしたら、それは風さんを悲しませるだけの様な気がする。前に向かって歩もうとしている風さんの足を引っ張っているような気がする。

みんなの心の中には天使と悪魔がおるから。原因はみんなの心の中にあるから。他人の悪魔と戦う前に、先ずは自分の中の悪魔と戦わなくっちゃ。

ずっずさん曰く、風さんて「音楽以外何にも興味がない、パンツも靴下もビリビリに破けてる。極論裸でいいぐらいの人」なんでしょ。
大好きな風さんが決めた事やし、好きな音楽を続けられる為に、風さんらしい生き方をしてもらう為に、今までありがとうと明るく送り出そうやん。


今んとこアカウントは残っとるし、インスタやYou Tubeもある。

Lizzoが、ツィートを再開したように、いつかまた戻って来るかもしれんよ。その日が来るまで、風さんが戻りやすいようにHEHNな楽しいTLにして待とうやん。

風さんがみんなを大切に思う気持ちや愛する気持ちはちっとも変わっとらんと思うよ。


明日いや、今夜はいよいよ紅白歌合戦やね。
後半で『死ぬのがいいわ』を歌うんだっけ。
どんなパフォーマンスなのかな?
Yaffleさんも出たりしてね?
ワクワクしながら大晦日を過ごすとするか。


さてさて、今年もわての戯言にお付き合いくださった皆様、ほんまありがとうございました。
どうかどうか良いお年をお迎えくださいにゃあ。


追伸:今回のLAAT、何と宮城とたまアリが、当たってました。当初からどちらかをトレードに出すつもりやったんやけど。
ずっずさんの「当分ツアーは無い。」との言葉に心が揺れたことは確か。でも欲を出したらきりが無いし、2度行ったら3度4度と行きたくなるやろし、わての場合感動が倍増するより薄れてしまうような気がした。それと楽しい事の後ってその反動なんか何とも言えん気持ちに襲われて、エンジン吹かせるようになるまで相当時間かかるんよね。儚く短いからこそ美しいとも言うしさ。

ってな訳で執着を捨てて、予定通りトレードに出しました。まぁ色んな考え方あって良いと思うんやけど、わての場合、それで後悔することは無いと思ったしね。
出来る事なら、わての出したチケットを、一度も生風浴びてない人が受け取ってくださいますように。


ほな🐾