風さんのアジアツアーまで、後2ヶ月足らず。インドネシアでは首都ジャカルタにそびえ立つ国家独立記念塔モナスにFUJII KAZEの文字が刻まれ、早くも歓迎ムード。
Fujii Kaze's name is on Monas Jakarta! ❤
— Kazetarians Indonesia (@KazetarianID) 2023年4月28日
Monas (Indonesian National Monument) is a 132 m (433 ft) obelisk in the centre of Merdeka Square, Central Jakarta, one of the historical buildings in Indonesia, symbolizing the fight for Indonesia. #藤井風 #FujiiKaze @fujiikazestaff pic.twitter.com/wWZG5yT5Az
どの国も会場のキャパは少なめだから、プラチナチケットになるに違いない。
風さんの真骨頂=ドラムやベース音まで聞こえてくるようなピアノ超絶テク、そして時には力強く時には優しく語りかける七変化の癒やしボイスは、音楽界に更なるジャパン旋風を巻き起こしてくれるはずやね。
TIKTOKでバズらせてくれたタイの皆様には風さんからこんなコメントが。
เปิดจำหน่ายบัตรแล้ววันนี้ ตั้งแต่เวลา 11:00 น. ทางไทยทิคเก็ตเมเจอร์ https://t.co/yMKYJa18KU ออนไลน์และทุกช่องทางจำหน่าย สอบถามเพิ่มเติม TTM 02-262-3456
— Avalon Live (@Officialavalon) 2023年4月30日
Fujii Kaze and the piano Asia Tour in Bangkok
🗓️ วันเสาร์ที่ 1 และวันอาทิตย์ที่ 2 กรกฎาคม 2566 เวลา 19:00 น.
📍… pic.twitter.com/ZAQ9dRMs27
アジアの皆様、ライヴに行ったらキュートさとクールな一面とのギャップに増々メロメロになって蕩けちゃうから、覚悟しときやぁ。
ところで野球界では既に世界中の人々を魅了している日本人がいる。大谷翔平選手だ。
これまでも野茂英雄投手を先駆者として多くの日本人がメジャーで活躍してきたが、彼の存在は別格。
ワンダーボーイとして現在の野球界で最も重要な選手と称されている理由は、マナーや人柄の良さもあるけれど、やはりベーブルース以来の二刀流だからといえそうや。
では彼は昔から二刀流を目指していたのだろうか?
どうやらそうではなかったようだ。
大谷選手は、早くから世界を目指し、高卒でメジャー挑戦を表明したものの、あくまでピッチャーとして米国大リーグのマウンドに立とうとしていた。
日本ハムが単独1位指名するも、その決意は固く、変わらないように見えた。
ところがである。
当時の日本ハム栗山監督は何度も彼の下に足を運んだ。そして提案したのが二刀流。しかも具体的なトレーニングスケジュールなどその道筋を提示したのだ。チームの為にというより、自分の為にと必死に考え、共に歩もうとする監督の熱意に大谷選手は心打たれ、日本で経験を積む事を決断する。
栗山英樹監督は、ちょっと変わってて東京学芸大学教育楽部出身、白鷗大学助教授といった教育者としての顔も持ってるんだよね。
だからかぁ。
目の前の事だけに囚われず、選手の先々の事まで考えているのは。
誰が何と言おうと、とことん選手を信じ、もし選手が失敗しても責任は全て自分が背負うって考えの持ち主なのは。
何て男前な!
そんな監督の下で大切に大切に育てられたからこそ、今の大谷選手があるんやないやろか。
もし高卒で大リーグに行っていたら、ピッチャーとして大活躍はしていても、投打に活躍する彼を見る事は出来なかったやろうなぁ。
改めて思う。
人との出逢いがその後の人生に与える影響って、凄く大きいんやと。
これって風さんにも言えるよね。
大谷選手にとっての栗山監督は、風さんにとっては言わずもがな、ずっずさん。
ふたりの出逢った経緯は風さんアプリ内のStaff Diary(2020/12/31ふりかえり)の中でずっずさんが書いている。
一度は風さんに断わられ、タッグを組むのを諦めたものの、ずっずさんは再びコンタクトを取って里庄町を訪れ、ご両親からも了解を得て今日に至っとるんよね。
どんな魔法の言葉をかけたのかはわからんけど、里庄町まで行ったのはずっずさんだけだったって話だし、ずっずさんの熱意や本気度が風さんの心を射止めたんやと思う。そして関東近郊のコンサートを企画・運営する(株)DISK GARAGEの関連会社、(株)DGエージェントで風さんは御世話になる事になる。
この会社の主な所属アーティストは及川光博さんだそうだ。
それはともかく、前にわて『ずっずさん』で記しとるように
ずっず(河津知典)さんは毎年スーパーアリーナで開催される『VIVA LA ROCK』にその立ち上げから関わっている。その時ずっずさんはフェスの収益だけに囚われず、やがてそのフェスが開催地の住民に愛され、地域おこしや、音楽好きな子供達の育成に繋げる為にはどうすべきかという事まで考えていたという。音楽ファンを増やして業界を元気にするだけでなく、その地域が潤い、子供達が感性豊かに成長する様なフェスを目指していたんやね。
またずっずさんは、30代後半、専門学校で講師をしていた時期があった。それは、自分の経験や知識を未来ある若者達に惜しみなく伝える事で、文化や芸術の火を絶やす事なく、更なる次元に高めていって欲しいとの思いからではなかったのだろうか?
それは「全て与えて帰ろう」と謳う風さんの考え方に通じるもので、後のピアノスコア発売や KAZE FILMS docomo future project といった活動に繋がっていったんだろうと思う。
ずっずさんは、(株)DISK GARAGEを退社して、2021年06月18日、藤井風の個人レーベル㈱HEHN RECORDSを設立し、社長に就任した。風さんのレコード会社は(2004年ユニバーサルミュージックジャパンから分割した)ユニバーサルシグマ。レーベルというのはレコード会社の下の組織で、アーティストを所属させ、CDを作る会社のことなんやて。なんか、ややこしいね。
で、本来風さんをマネジメントすべきDGエージェントとの関係が今どうなっているのか、ようわからんけど、HEHN RECORDS がプロデュースからマネジメントまで全てを担っている気がする。タレントが大手事務所から独立して、家族を役員とした個人事務所を設立するってのはよくある話しだけど、そんな感じかな?社員は4名で風さんが係長って事やもんね。でもずっずさんは風さんと血の繋がりはない。もし風さんに何かあったらどうするんやろ?所属アーティストは風さんだけなんやから。ずっずさんにはどうやら養うべき家庭があるみたいやし、収入の安定を捨てて、長年御世話になっていた会社を辞めるってのは相当な覚悟やわ。
もしかしたら、ずっずさんは2020年1月24日に風さんをデビューさせた時から、いや、ご両親から大事なご子息を預かった時から、風さんと運命を共にすると心に決めていたのかもしれないね。
HEATのBlu-ray付属のbtsでは、その決意を風さんが重く受け止めないようにとの思いからか、「来年で活動休止したいと言えばそれはそれで全然(問題ない)」と、語っている。
全てを投げ売って風さんの為に会社を立ち上げておきながら、休みたいなら休んで良いよ!なんてなかなか言えるもんじゃないよ。
ずっずさんも何て、男前な!
確かに昨年はライヴもAAHT、パナスタ、LAATと目白押しで、毎日がジェットコースターに乗っているみたいやった。それは海外進出する前のOJT的な意味合いがあったのかもしれんし、本格的な海外ツアーが始まったら国内のファンに寂しい思いをさせてしまうから、その前に精一杯国内ファンを喜ばそうとしての事かもしれない。
この言葉は風さんに多少無理をさせてしまい、申し訳ないとの思いから?発したともとれる。
先を見据え、収益は二の次で人を大切にするずっずさん
ちょっと売れると将来の事は考えず消耗品みたいに次から次へと仕事させる事務所が多い中、極力仕事をセーブして、風さんのペースでのびのびと音楽制作に取り組ませたいんやろうなぁ。
だからこそ、矢継ぎ早に新曲を発表し、常に話題を振り撒くアーティストもおる中で、今、敢えての小休止、充電期間を取ってるんやと思う。
どんだけ風さんの事を大事に大事にしてるかってのが、ようわかるやん。
わて、風さんには、太く短くではなく、細く長くいつまでも愛されるアーティストであって欲しいと思うとるんじゃが、誰よりもそう願っているのはずっずさんなのかもしれない。
こんな素晴らしい人に出逢えるなんて、風さんは幸せ者や。
でも風さんの場合、普段考えている事や行動が良いから、必然的に巡り逢えるようになってたんやろなぁ。
な〜んだ、今日はやけにずっずさんの事、べた褒めしとる思うとったら、結局風さんが素晴らしいって言いたかったんやん!
にゃんと、ばれとったんかいな〜。
ほな🐾